当宮は『横濱総鎮守』つまり国際港都・横浜の守り神として広く崇敬を集めています。
当宮の創建は、横浜が日本一の貿易港として、また文明開化の先駆けの地として、
急速な発展を遂げていた明治3年(1870)です。
当時の神奈川県知事・井関盛艮(いせきもりとめ)が
「急速な近代化・西洋化の流れの中でも、横浜の人々が日本の国柄を見失わない為に、
人々の心の拠り所、また横浜の象徴となるものとして、国家を鎮護する天照皇大神を祀る荘厳な神殿を築く」と告諭し、
戸部の地にあった古社を再興し、港を一望する丘の上へと遷座しました。
遷座に際し、五日間にわたり盛大な祝祭が執り行われました。
また、このお祭りをきっかけとして、アイスクリームが世に広まったことも知られています。
井関知事は、さらに当宮を『神奈川県宗社』と定めるよう国に建白します。
かつては当宮の例祭日である五月十五日は、
役所や会社、学校がお休みとなり、多くの市民がお祝いをしたと伝えられています。
明治期には隣接して皇室御用邸「伊勢山離宮」が設けられ、
また昭和3年に現在の神奈川県庁本庁舎・通称「キングの塔」が完成すると、
その最上階は修養塔となり、そこに奉斎された皇大神宮の月次祭には伊勢山皇大神宮の神職が奉仕していました。
まさに国際港都・横浜の歴史と共に歩み、見守り続けてきたお社なのです。
江戸一の山車職人と呼ばれた仲秀英の作品。
当時の横浜の中心街であった各町は、
当宮の遷座祭にあたり四台の人形山車を秀英に作らせました。
「横浜市史稿」(昭和七年刊)にも
「其彫刻、其装具等付属品はすべて当代の名匠に依嘱し、
其華麗なる事は目映ゆきばかりにて美術技巧の粋を蒐め、
万金を投じたものであった」とあります。
これらは全て関東大震災で焼失しました。